なぜ銚子商が人気だったか①名勝負が多かった名将斎藤加一之

皆様こんばんわ。

ノンフィクション作家の畑山です。

今日は、銚子商業野球部が、なぜ未だ語り継がれる存在であるかをお話ししたく思います。

今日はその①です。

銚子商野球部は名勝負が多く、そして対戦した相手がその後日本球界に多大な影響を与えた選手、チームだったことに起因します。

年を追って説明いたします

1961年(昭和36年)甲子園2回戦 VS浪商(エース怪童、尾崎幸雄)(銚子商の当時の監督は、篠原保。のちの斎藤政権時のコーチ)

1965年(昭和40年)千葉県勢初の決勝進出VS三池工業、相手の監督は、昭和、平成の名将原貢監督。巨人原辰徳監督の父

1972年千葉県代表決定戦 VS成東高校 成東エース鈴木孝政投手。中日で大活躍する大投手。1-0で銚子商が勝利

1973年夏甲子園2回戦 VS作新学院 史上最高の甲子園投手、江川卓投手を延長戦の末撃破。←私の最初の作品の舞台です。

怪物退治の夏 昭和48年甲子園2回戦銚子商と斎藤一之 | 畑山 公希 |本 | 通販 | Amazon

1974年 念願の全国優勝。この年の4番は、のちに巨人で2度の首位打者に輝く篠塚利夫氏。

1963~1975年、千葉県内で、中学野球でのライバルであった、成東高校松戸健監督(のち千葉県高野連会長)との壮絶な戦い。

1995年春センバツで、「西の福留」(元中日ーカブスーインディアンスーホワイトソックスー阪神ー中日)と「東の澤井」(元ロッテ)の直接対決。

2005年夏、斎藤一之の長男、斎藤俊之氏が、監督として甲子園出場。初戦を勝利。(7-1鳥取西)。これにより、親子で同じ公立高校の監督として甲子園出場、勝利を収める唯一の事例。

まだまだありますが、とにかく、激突した相手が球界での有名人が多く、そしてドラマ性があったことが、今なお熱狂的なファンがいる要因となっています。

次回はその②をお伝えしたく思います。

著者プロフィール:畑山 公希(はたやま・こうき)

ノンフィクション作家/ライター。
千葉県の高校野球の名門・銚子商業野球部と、名将・斎藤一之監督をテーマにしたノンフィクション作品を執筆。

  • 2022年『怪物退治の夏~昭和48年甲子園2回戦~銚子商と斎藤一之』出版
  • 2024年『歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之vs原貢』出版
  • 2025年『現実的な作家のなり方(仮)』(アメージング出版)刊行予定

現在は個人事業主として、ゴーストライティングや取材記事の代筆、note・書籍の構成サポートも行っている。

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