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  • 2025年千葉県大会 銚子商VS習志野IN天台球場レポート

    畑山 公希/ノンフィクション作家

    ※今回の記事は、noteでの2025年8月の過去記事を掲載しています。

    みなさんこんにちわ。

    ノンフィクション作家の畑山です。

    今回は、すでに大きなニュースになった、7月19日(土曜日)に、天台球場(千葉県野球場)のレポート7月をしたいと思います。

    ご存じのとおり、千葉県は甲子園通算3回の全国優勝をしています。

    それぞれ、銚子商業(1974年)、習志野(1967、1975年)となっています。

    その全国優勝校同士の対決が、実現しました。

    このカードは、2年前の柏の葉球場で実現しましたが、そのときは、12ー0で習志野がコールド勝ちを収めています。

    それ以上に驚いたのが、2年前に行われた柏の葉球場には、朝3時の時点で行列ができており、また、外野芝を開放しているにも関わらず、それでも客が入りきらず、ついに千葉大会の歴史上、当日券の発券停止を発表した試合でした。

    このことは、私の2作品目の、銚子商野球部ノンフィクション第二弾「歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之VS原貢」にも書いております。

    結局多くの客が球場に入れないまま、スマホで観戦する人が続出するなど、大きな話題となりました。

    この習志野vs銚子商のカード。

    実は、当初7月16日(水曜日)マリンスタジアムにて行われる予定でしたが、一回戦の銚子商VS我孫子二階堂戦が、雨で二度の継続試合でずれ込み、20日の土曜日の千葉県野球場(通称天台球場)で行われることになりました。

    最近土日休みの仕事になった自分からすれば、平日だと見に行けなかった習銚戦が、土曜日にずれ込んだことはラッキーな出来事でした。

    2000年代に入ってから3度目の直接対決

    銚子商と習志野は、昭和の時代も、幾度か直接対決をしていますが、今回は2000年代に入ってからの成績を書きます

    2017年5回戦 銚子商1ー8習志野(マリンスタジアム、7回コールド)

    2022年 3回戦  銚子商0ー12習志野(柏の葉、5回コールド)

    そして今回の2025年

    3回戦 銚子商0ー6習志野(千葉県野球場)

    過去2戦はコールド負けですが、今回は9回までやりました。

    元東京銚子商会会長の、若林孝子さんも

    「澤田監督になってから、今回の習志野戦は、初めて9回までやった。近づいた気がする」と話していました。

    このことに関して、一部のオールドファンから、

    「元々、斎藤監督時代は、習志野を圧倒していたんだから」

    という声があったのですが、時代は変わり、習志野と銚子市の地域差が拡大する中でのこの一戦は意味があったと思うので、この辺を解説していきたいと思います。

    通算成績は6勝5敗で銚子商がリード

    ここで過去の成績を並べてみます

    1965年 東関東代表決定戦 銚子商5ー0習志野(銚子商千葉県勢 初の準優勝)


    1968年 銚子商10ー2習志野 銚子商夏千葉県準優勝
    1971年 銚子商8ー0習志野 銚子商甲子園出場
    1972年 銚子商0ー2習志野 習志野甲子園出場(掛布雅之氏)
    1974年 銚子商2ー0習志野 (銚子商全国優勝)
    1975年 銚子商1-2習志野 (習志野全国優勝)
    1976年 銚子商3-2習志野 銚子商甲子園出場
    1985年 銚子商不戦勝   (斎藤一之監督最後の甲子園出場)

    つまり、1985~2017年まで直接対決がないんですね。

    これの最も大きな要因が、千葉県の参加校の急増です。

    現在、千葉県は全国5位の参加校になっています(148校)

    澤田監督就任後では、初めて9回まで試合をした対習志野戦。

    現在の銚子商の監督は澤田洋一監督。(第89期卒業)

    銚子商を卒業してから、名門国際武道大の野球部で750勝監督、岩井監督のもと教えを受け、卒業後は、市立銚子高校に赴任し、同野球部監督に就任。

    そして2016年に、母校銚子商業野球部の監督に就任しました。

    その翌年に、最初の習銚戦(五回戦、ZOZOマリンスタジアム1-7)を戦うことになります。

    ちなみに、この日長蛇の列がなんと、球場一周分まで続いており、試合開始前には入場チケットは発券停止。

    観客席に入れなかった人があふれたため外野の芝生を開放してました。

    おそるべし伝統の一戦、、、、、

    (客席に入れなかった人たちがこんなにあふれたのは初めて見ました、、、)

    続く

    著者プロフィール:畑山 公希(はたやま・こうき)

    ノンフィクション作家/ライター。
    千葉県の高校野球の名門・銚子商業野球部と、名将・斎藤一之監督をテーマにしたノンフィクション作品を執筆。

    • 2022年『怪物退治の夏~昭和48年甲子園2回戦~銚子商と斎藤一之』出版
    • 2024年『歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之vs原貢』出版
    • 2025年『現実的な作家のなり方(仮)』(アメージング出版)刊行予定

    現在は個人事業主として、ゴーストライティングや取材記事の代筆、note・書籍の構成サポートも行っている。

    📩「これを書いてほしい」「構成してほしい」などのご依頼・ご相談は、X(旧Twitter)のDMよりお気軽にどうぞ。


  • 銚子商業と千葉ロッテマリーンズ

    銚子商業と千葉ロッテマリーンズ

    皆様こんばんわ。

    今日は、表題のとおり、銚子商業と千葉ロッテマリーンズの繋がりについて、お話しします。

    なぜロッテか。

    私がファンだからです(笑)

    銚子商業からロッテへの入団選手

    では少し、銚子商業からロッテへ入団した選手についてお話しします

    木樽正明  

    市原明(ロッテー阪急)

    土屋正勝(中日ーロッテ)

    宇野勝(中日ーロッテ)

    澤井良輔(ロッテ)

    結構いますね。

    木樽選手は、私の著作「歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之VS原貢」の時のエースで、ロッテが勝率1位でのリーグ優勝時のエースでもありました。確か、マサカリ投法の村田長治さんが木樽さんの部屋子だったそうです。

    市原明選手は、OBの中で言われている、「最強世代」(昭和43年)の一人で、この年、3人のメンバーがプロに行っている世代です。

    杉山茂 巨人、町田公雄、日本石油(現ENEOS)ー阪神5位)

    町田選手は、同時期の社会人野球のレジェンド強打者でした。

    ちなみに、彼らの世代は、同校二度目のセンバツで、ベスト8に入っています。

    (昭和43年のメンバー。後援会記念誌「栄光への道」より)

    土屋投手は言わずと知れた、昭和49年全国優勝投手。怪物江川投手にも投げ勝っているレジェンド。

    土屋投手のVS作新学院江川卓投手の詳細は、私の最初の書籍「怪物退治の夏~昭和48年甲子園二回戦~銚子商と斎藤一之」に書いております。

    宇野勝さん。中日黄金期の強打打者で、遊撃手としては球界で唯一の本塁打王、そして41本塁打はいまだ破られていない記録です。巨人坂本選手が40本で肉薄しましたが、結局記録更新にはなりませんでしたね。

    そして、銚子商業最後のNPB一軍出場選手の澤井良輔選手。

    1995年の同校初の春センバツ準優勝の功労者の一人。夏も連続出場しました。

    ちなみに、同学年の甲子園準優勝メンバーを入学させたのは、銚子商業を去る前の黒川栄一監督です(現安房拓心高校監督)

    (現在でも監督を務める、元銚子商業監督、黒川栄一監督。長生の森野球場にて撮影)

    この辺は、私の最初の作品に書いております。

    銚子商業ではないですが、同じ「銚子」とつくワードで千葉ロッテつながりがある選手では、銚子リトルリーグ(2016年解散)最初で最後のNPB選手、小沼健太投手(東総工業ー武蔵ヒートベアーズー茨城アストロプラネッツーロッテ(育成2位)ー巨人)がいます。

    ちなみに私の銚子リトル後輩にあたりますが、彼が一軍登録されて、マリンのマウンドで投げたときは嬉しかったですねえ。

    今日はこの辺で。

  • 野球の町と房総野球を見続ける「銚子市営球場」

    野球の町と房総野球を見続ける「銚子市営球場」

    皆さんこんばんわ。

    今日は、私もかつてお世話になったことのある、野球場「銚子市営球場」について書き記したいと思います。

    戦後間もない、昭和23年。

    日本最東端の漁師町に当時としては規模の大きな野球場が開場します。

    銚子市営球場

    かつて、幾多の名勝負を見続け、現在では、秋、春の地区大会で使用されている現役の野球場です。

    プロの公式戦も行われた最東端の野球場

    NPB公式サイトによると、昭和23年の開場から、プロ野球の公式戦が11試合行われています。

    同球場での初の公式戦は巨人ー急映(急映フライヤーズ、1948年6月24日)

    その後1948年に2試合、50年に2試合、53年に2試合、55年に2試合、56年に2試合、57年が最後で1試合となっています。

    ただ当時を知る人によれば、プロでもオープン戦がこの球場で行われたとの話もあります。

    なお球場のスペックは、両翼91m、中堅117mです。

    銚子を沸かせた「銚子の早慶戦」

    この球場の最初の伝説は、当時地元で人気絶頂となっていた、新制中学野球。

    昭和22年ころに旧制中学時代が終わり、新たに新制中学時代が始まりますが、それと同時に野球の町、銚子市も中学野球が人気になります。

    その中でも銚子第一中学は、県下最強と言われたチームで、後にその卒業生が、銚子商業へ進み、初の甲子園出場(昭和28年センバツ)、初の選手権出場(初の夏甲子園出場、昭和33年)に導きます。

    その銚子第一中学の監督は、後に銚子商業野球部監督に就任し、昭和49年に全国優勝監督となる、「斎藤一之。」

    一方、その第一中学にライバル心を持ち、第二勢力として斎藤と第一中学と互角に戦った、銚子第三中学野球部。

    監督は、のちに、市立銚子の野球部監督に就任し、幾人もの名プレイヤーを育て、昭和56年に、決勝で銚子商業を破って甲子園出場を果たす、「矢部昌宏監督」です。

    (斎藤一之監督に続き、もう一つの嶋田市長の思惑。それが斎藤一之にぶつけた市内のライバル矢部監督であった。市民からは「矢部じい」とよばれた、人気の指導者だった。写真は、矢部監督が銚子西監督を退任、教師も定年退職後に、地元銚子リトルリーグを巡回指導していた当時の写真)

    この両者の名指揮官に鍛えられたそれぞれの中学野球部は、県大会、高校野球でいう甲子園に匹敵する舞台を何度も経験しています。

    この両者の指揮官は、後に「野球の町、銚子市」構想をもっていた、嶋田隆銚子市市長を動かし、激戦区千葉県において、甲子園出場校を同じ市から2校輩出するという偉業を成し遂げます。

    (のちに銚子西を含めると3校になる。銚子商業、市立銚子→昭和54年、市立銚子西→昭和56年)

    現在は、数多くあった小学校、そして第8まであった中学が2つに統合される予定ということもあり、各校で野球部の存続が不可能、かつての銚子の早慶戦を彩った中学野球は幕を閉じています。

    しかし、現在は各地区にある少年クラブチームによるトーナメント戦が行われています。

    そして、秋、春になると地区予選が展開され、そこに銚子商業が試合を行うとなると、目の前の広大な駐車場は、車が止められないほどになります。

    (内部には銚子商業の甲子園出場当時の写真などが展示されている)

    先日、この銚子市営球場の球場開きの一大イベントとなった、市立銚子VS銚子商業の親善試合が行われています。

    (銚子の早慶戦、VS江川投手の20奪三振など名場面を繰り広げた球場内部を客席から。照明器具は崩落したまま支柱だけが立ったまま取り残されている)

    現在は、数年前に発足した、少年硬式野球チーム「銚子ボーイズ」が発足し、このグランドで練習会が行われています。

    銚子リトルリーグ、シニアリーグが解散(2016年ころ解散)してから10年。

    人口減少が続く銚子市ではありますが、ここでかつて野球文化を育てた功労者たちが再び立ち上がり、銚子の野球文化を継承しようとしています。

    (上の写真は、1993年ころ、現役を終えたころの元ヤクルトスワローズ若松勉選手が、銚子リトルリーグへの指導を含めた練習会が銚子市営球場で行われたときの写真。若松監督と銚子リトルリーグの繋がりは、当時、銚子シニアリーグ会長の阿天坊敏明会長(現銚子商業野球部後援会長)と社会人野球選手時代に、阿天坊会長は新日鉄室蘭、若松監督は北海道電電公社から、大昭和製紙の補強選手として出場した時に都市対抗を戦った仲。都市対抗では3番は若松監督、5番を阿天坊会長が打った。

    その過去と未来を繋ぐ、銚子市営球場。

    現在数年前の台風で崩落したナイター設備(照明)が改修工事ができずにいますが、球場としての役割を今後も続けてほしいと願うばかりです。

  • なぜ銚子商が人気だったか①名勝負が多かった名将斎藤加一之

    皆様こんばんわ。

    ノンフィクション作家の畑山です。

    今日は、銚子商業野球部が、なぜ未だ語り継がれる存在であるかをお話ししたく思います。

    今日はその①です。

    銚子商野球部は名勝負が多く、そして対戦した相手がその後日本球界に多大な影響を与えた選手、チームだったことに起因します。

    年を追って説明いたします

    1961年(昭和36年)甲子園2回戦 VS浪商(エース怪童、尾崎幸雄)(銚子商の当時の監督は、篠原保。のちの斎藤政権時のコーチ)

    1965年(昭和40年)千葉県勢初の決勝進出VS三池工業、相手の監督は、昭和、平成の名将原貢監督。巨人原辰徳監督の父

    1972年千葉県代表決定戦 VS成東高校 成東エース鈴木孝政投手。中日で大活躍する大投手。1-0で銚子商が勝利

    1973年夏甲子園2回戦 VS作新学院 史上最高の甲子園投手、江川卓投手を延長戦の末撃破。←私の最初の作品の舞台です。

    怪物退治の夏 昭和48年甲子園2回戦銚子商と斎藤一之 | 畑山 公希 |本 | 通販 | Amazon

    1974年 念願の全国優勝。この年の4番は、のちに巨人で2度の首位打者に輝く篠塚利夫氏。

    1963~1975年、千葉県内で、中学野球でのライバルであった、成東高校松戸健監督(のち千葉県高野連会長)との壮絶な戦い。

    1995年春センバツで、「西の福留」(元中日ーカブスーインディアンスーホワイトソックスー阪神ー中日)と「東の澤井」(元ロッテ)の直接対決。

    2005年夏、斎藤一之の長男、斎藤俊之氏が、監督として甲子園出場。初戦を勝利。(7-1鳥取西)。これにより、親子で同じ公立高校の監督として甲子園出場、勝利を収める唯一の事例。

    まだまだありますが、とにかく、激突した相手が球界での有名人が多く、そしてドラマ性があったことが、今なお熱狂的なファンがいる要因となっています。

    次回はその②をお伝えしたく思います。

    著者プロフィール:畑山 公希(はたやま・こうき)

    ノンフィクション作家/ライター。
    千葉県の高校野球の名門・銚子商業野球部と、名将・斎藤一之監督をテーマにしたノンフィクション作品を執筆。

    • 2022年『怪物退治の夏~昭和48年甲子園2回戦~銚子商と斎藤一之』出版
    • 2024年『歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之vs原貢』出版
    • 2025年『現実的な作家のなり方(仮)』(アメージング出版)刊行予定

    現在は個人事業主として、ゴーストライティングや取材記事の代筆、note・書籍の構成サポートも行っている。

    📩「これを書いてほしい」「構成してほしい」などのご依頼・ご相談は、X(旧Twitter)のDMよりお気軽にどうぞ。

  • 銚子商業野球部の実績

    皆様こんばんわ。

    ノンフィクション作家の畑山です。

    今回は、今のところ私の作家としての代名詞である、銚子商業野球部についてお話ししたく思います。

    千葉県立銚子商業高校

    昭和の野球ファンなら、知らない人はいなかったとされる、かつて全国を席巻した学校です。

    昭和40代~昭和50年代にかけて、千葉県のみならず、全国を席巻んした日本最東端にある漁師町の学校。

    昭和28年に、千葉県勢で初の春のセンバツに出場。

    その後は

    甲子園出場20回(春8回、夏12回)

    夏 全国優勝1回(1974年)


       準優勝1回(1965年)


    春 全国準優勝1回(1995年)

    国体 優勝2回(1965年、1948年)

    甲子園勝利数春夏合わせて39勝。

    千葉県トップの成績です。

    現在までに、最後の甲子園出場は、2005年の夏。

    この時の監督は、名将、故・斎藤一之監督の長男、斎藤俊之監督でした。

    決勝で、名門拓大紅陵を、延長戦の末撃破。

    そして、甲子園では、初戦の鳥取西を7-1で下し、ここに世にも珍しい、「親子で同一校の監督で、甲子園に出場し、甲子園で勝利を挙げる」という偉業を達成。

    私は、この事例は唯一の事例と思っています。(もしそれ以外の事例を知っている方、教えてください)

    そして、この時のエース遠藤投手は現在、母校のコーチとして赴任しています。

    彼のおかげで、現在過疎化地域で、人口減少が続く銚子市においても、シニアや周辺の有力中学から銚子商へ目指す部員が大勢います。

    この辺は、私の著書でも紹介していますので、そちらもご参考お願いいたします。

    今日はこの辺で

  • 高校野球ノンフィクション作家がHP開きました。

    皆様初めまして。

    ノンフィクション作家の畑山と申します。

    きょう開設したこの私のHPですが、ここでは著作の取材でこれまでお会いした野球関連の方々や、私が過去に見てきた野球の話について、「取材後記」を中心に語らせていただくHPになっています。

    私が初めて出版したのは、2022年7月「怪物退治の夏~昭和48年甲子園2回戦~銚子商と斎藤一之」(幻冬舎)という作品です。

    かつて、野球王国千葉で最強と謳われた高校野球チーム「銚子商業高校野球部」と、その最強の野球部を作り上げた名将「斎藤一之」監督を中心に描いた物語です。

    この本の中心は、昭和48年、史上最高の甲子園投手「江川卓」(元巨人)の打倒を目指した、斎藤監督とナインを描いたノンフィクションです。

    そして2年後の2024年4月、「歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之VS原貢」(アメージング出版)より出版しました。

    この本は、銚子商業野球部が、千葉県勢初の甲子園決勝進出を果たすときの話で、ここから野球王国千葉が始まった歴史的瞬間の戦いを描いています。

    現在、銚子商業野球部のシリーズを執筆しながら、その他千葉県の高校野球における名将の話も、追加で出版を目指しております。

    先ほどもお話ししましたが、著作やnote、その他各種ブログでは収まりきらなかった、その他のこぼれ話、また野球以外での話などを、ここではさせていただきたく思っております。

    皆様どうぞよろしくお願いいたします。

    プロフィール:畑山 公希 (はたやま こうき)

    1983年(昭和58年)、千葉県銚子市生まれ。

    銚子商業野球部元監督、故・斎藤一之監督下最後のレギュラーキャッチャーの兄を持つ、現役軟式野球選手兼ノンフィクション作家。(本業は倉庫のフォークマン)

    2022年7月、世紀の名勝負と謳われた昭和48年夏の甲子園2回戦、怪物江川投手擁する作新学院VS黒潮打線、銚子商を描いたノンフィクション作品「怪物退治の夏~昭和48年甲子園2回戦~銚子商と斎藤一之」を出版

    2024年4月、昭和40年夏の甲子園、銚子商が千葉県勢初の甲子園決勝進出を果たす歴史的瞬間を描いた「歴史が始まった日~昭和40年甲子園決勝~斎藤一之VS原貢」を出版

    現在も同校のノンフィクションシリーズを執筆と同時に、その他千葉県の高校野球についての作品を執筆中。

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